2013年12月3日火曜日

赤沢岳西尾根






「ぁあああああああああああああ!!」

怒りとも驚きともとれる叫びが、山を駆け抜ける。
いったい何時になったらこの地獄から解放されるのだろうか。

数週間前、3ヶ月間の極北遠征と新妻の出産を直前に控えた探検家で作家の角幡氏から、北アルプスでのんびり雪稜でもやらない?と連絡があった。冬のシーズン始めに、簡単な雪山歩き。大いに歓迎だ。二つ返事で引き受けた。そう、これが地獄への始まりだったのだ。

「赤沢岳西尾根」

これを知っているという人は相当な好き者だ。登った僕自身、これまでその存在を知らなかった。あらかじめ言っておくと、この尾根を登ったという事に、記録的な価値はそれほどない。特別、難しい尾根という訳でもないし、全く人が入らない空白地かと言われればそうでもない。かといって渋滞ができるような場所でもない。かつては正月山行などに使われたらしいが、冬季に関電トンネルが閉鎖された今、このアプローチの悪い雪稜に登ろうなどという人は「酔狂な人」扱いされてしまうだろう。

「まっ、二泊三日もあれば余裕でしょう。」

と、舐めきった態度で、昼前に扇沢駅についた。松本から扇沢まで、車から見上げる山にはどれも雪が少ない。雪稜をするのには、ちょっと雪が少なすぎて楽しめないのでは?という不安が互いの頭によぎる。「まっ!向こうは凄いって!だって初冬とはいえ、黒部だぜ!」と、根拠のない空元気を振り回した。

駅で登山道具をザックに詰め直していると、周囲から視線を感じる。なんと、女の子が何人か僕らの写メを撮っているではないか。うーん、さすが雑誌にテレビと露出度の高い有名探検家、人気だなぁと、隣の角幡氏に嫉妬心を燃やそうとしたが、次の瞬間、女の子達が聞きなれない言葉で話し出した。「~アルよ~!」あ、この子達は中国人観光客なのね。他のチラ見というにはストレート過ぎる視線もそういうことか。ロープやらアックスやらをガチャガチャさせてる僕らが物珍しくて見たり撮ったりしていただけのようだ。撮るなら一言声をかけんかい、と言いたいところだが、若い女の子が僕らの写真をフェイスブックに上げるのかと思うと、悪い気はしないね。

そうこうしていると、トロリーバスの発車の時刻だ。中国人に混じり、バスに乗り込む。あっという間に黒部ダムについた。冬は数日を要して山を超えなければ着けない場所に、わずか15分でこれる。いろいろいわれはあるが、アルペンルートはやはり便利である。

積雪具合はどうかや?という不安をよそに、ダム駅から外に出ると、一面の雪景色がボクらを出迎えてくれた。これぞまさにトンネルを抜けるとそこは雪国。完全な冬山じゃん!これは思ったよりも楽しめそう、というより、予報とは裏腹にどんより空からしんしんと降り積もり続ける雪に、楽しむどころか苦しめられるんちゃうか!?と、さっきまでとは真逆の不安が頭をよぎった。

尾根の取り付きまでは、地図ではすぐのはずだが、どうにも雪が深すぎる。駅から出て十数メートルでワカン(カンジキ)を付けた。交代でラッセル(雪かき歩き)をしながら、「ここかなぁ?」と赤沢西尾根の取り付きらしき場所につく。 

赤沢西尾根の末端はどこも岩壁になっており、一番傾斜のゆるそうなところからでも、すぐにロープを出すことになる。久々に握るアックス。凍った土や草にアックスを叩きつけ、登っていく。海外の高峰の一面のブルーアイスを登るのも爽快だが、こういう日本的な凍った土壁に触ると、「やっぱり我が家が一番!」と、夏は泥や草だらけのただの崖であろうこの場所に愛すら感じる。 とはいえ、雪の降り始めのこの時期、泥の氷結は甘く、のっぺりした岩にうっすら雪がのっていたりし、その登攀は見た目の地味さに反して恐ろしいものとなる。

山屋にあるまじき午後出発が効き、あっという間に空が暗くなってくる。出発地点からほとんど高度は稼いでないけど、今日は最初から泊まれそうないい場所があればそこまでの行程のつもりだったし、「いいよね~?」と、樹林のわずかに平な場所を見つけ、テントをはった。予報ではそんなに降るはずではなかったが、雪はどんどん強くなっていた。 

角幡氏のテントは思った以上に年季が入っている。ポールは曲がってるし、異常にきついポールの刺し口、設営に時間がかかる。テントの生地は古びたブルーシートのようで、今時ホームセンターの格安テントでももっとマシな生地を使っている。当然のごとく、内側はカビがビッシリである。おまけにすごく狭い。苦しい体制でテントないで靴を脱ごうとすると、寒さと水分不足も手伝って、腹筋が吊って絶句する。「腰イテぇなぁ。」とお互いぶつぶつ言いながら、湯を沸かしメシを喰らう。 

「酒、忘れたし、メシくっちゃうとやることないなぁ。」角幡氏はおもむろに携帯を取り出し、「おっ、電波あるじゃん。」と、身重の愛妻に電話をかけた。その第一声がなかなか衝撃的な言葉だった。 

「あ、もしもし、破水した?」 






あとで

0 件のコメント:

コメントを投稿