2015年12月15日火曜日

素敵女子たちの閉経した子宮と魂に響く名言集

舐め太郎の周りにいる素敵女子に、女子の秘密を聞いてきました。舐め太郎は酒の飲みすぎで常時記憶がまばらなので、女子たちが何を話してたかすでに曖昧ですが、確かこんな素敵な名言が飛び出しました!



ベッキーさん(36)三好市在住の1歳のお子様をもつ主婦。主婦業の傍らボルダリングやヨガも嗜む素敵女子。この写真をセレクトしたのは舐め太郎の悪意ではなく、こんな無防備状態でさえ、雲を携え天を突かんばかりに伸びあがる世界最大の氷壁ナンガ・パルパットのルパール壁のように美しいベッキーさんをご紹介したかったのです!


「最近の女子活動? そら子育てよ。子育てには日本最後の地理的空白部・称名廊下(立山の渓谷)のような美があるわ。それは優れた工業製品や日本刀と同様の美、機能美よ。幾千万のときをかけた水の浸食により、その身を研ぎ澄ませ続けた称名廊下は渓谷として完璧なまでに尖り切り、一切の生命を寄せ付けず、自然として完璧かつ強大よ。これは自然が生み出した機能美なの。「判断力批判」でカントがそのことに気付けなかったのは仕方ないわね。なぜならカントは哲学者であって、沢ヤじゃない。そして女でもないわ。私は女として女になり、女を超える存在になりたい。それだけのことよ」




ズンコさん(36)一宮市在住の0歳のお子様をもつ主婦。手織りアトリエ・ペシュカで創作活動を行っている素敵女子。ズンコさん著作の「カード織りのテキスタイル・ストラップづくり」 (学研)は手織り女子のバイブルらしいですよ。上下スウェットのズンコさんのこの写真をセレクトしたのは、舐め太郎の悪意ではなく、無防備状態でも3000メートルの雪の要塞・カラコルムの白眉・K6北西壁のようにオシャレ可愛いズンコさんをご紹介したかったのです。


「そうね、創作物も女の美も一緒かもね。だいたい機能美で説明できるわ。本当にいい女ってのは、内面・中身も伴い、それがファッションも含め外見にまで発揮され、美しくなるのよ。だから見た目だけが可愛い女ってのは、本当は可愛くないの。可愛いを装っている模造品。精巧なコピー品よね。私は幾度となく生と死の境界線にたってきたことで、女の本質を見抜けるようになったわ。三島由紀夫は武士道に憧れていたようだけど、武士の本質には辿り着けなかったわよね。何故なら彼は優れた小説家ではあっても、侍でも山ヤでも女でもないからよ。そして一度や二度の死線ぐらいじゃダメなの。幾度も繰り返し死線を乗り越えることでしか辿り着けない境地があるのよ。もちろん私はそこに辿り着いた数少ない女であると自覚していて、歴史に名が残るでしょうね。でも勘違いしないでね、地位や名声なんかに興味はないの。私はただ、女として正しく生き続けるだけ



多田さん(20)名古屋のアウトドアショップで働く一宮市在住の素敵女子。登山が大好きだそうです。忘年会なのにテーピングをして自己アピールに必死な沢ヤなど目に入らないほどの女子力の多田さん。その圧倒的な女子パワーは、鋭く、太く、デカく、ゴツく、強く、カッコよく、勃起した力道山の陰茎を彷彿とさせる台湾の大岩峰「針山」のような破壊力があります。そんなパワーを自然体の状態で悪絶に発し続ける多田さんは、見るものを釘づけどこか、敬虔なクリスチャンが見たら失神するような拷問器具で張り付けの刑にします。ホンモノは違いますね。


「隣の男? 彼氏なわけないじゃない。ただのペットみたいなもんよ。何故山に登るのかって? マロリーは、『そこに山があるからだ』と言ってたわね。小説「神々の山嶺」の主人公・羽生丈二は『ここに俺がいるからだ。山ヤは山ヤだから山に登る。だから山ヤの羽生丈二は山に登るんだ』なんて言ってたかしら。私はマロリーとも羽生とも違うわ。人類にとってのパイオニアワークを成し遂げ続けることで超人・魂の女となるの。確かニーチェもそんなことを言ってたわね。あの男は女子力が足りないから、それを成し遂げられなかったけど、私は違うわ。山で身に着けた悪絶な面魂をソ連が開発した世界最大の核爆弾ツァーリ・ボンバのように破裂させて男を口説き、ヒモになるのよ。ヒモになることで安定した資金を手に入れ、また山に行くの。そこでまた魂の震える登山をして男を釘付けにし、ヒモを強靭な鋼鉄のワイヤーの鞭にしていくの。その鋼鉄の鞭で世界中の男を征服して、私は世界の女王となるの。女として生まれた以上、当たり前の生き方よ」

2015年11月18日水曜日

モンベル冒険塾




風邪をひいてすこぶる体調が悪かったが、パソコンを開いてANITUBEでワンパンマンを見ながら、晩酌し、痛飲した。そして気絶するように眠った。これは十年以上続けてきた日課だ。おかげで、死神に鎌で背中を裂かれ魂が凍りつくような悪夢を見て、その悪夢に叩き起こされたが、これも日課なので慣れている。いつもであれば、そのまま布団の中で夢と現実を行き来しながら3~4時間過ごすのだが、この日は仕事なので布団から這い出た。シャワーを浴びて、くたびれ色あせ穴の空いたライペンのザックを押し入れから取りし、そこに二日間かけて作った1万5千字の台本とノートパソコンを詰め込んだ。それを背負い、最寄りのJR駅に向かった。この日はモンベル本社に冒険塾の講師として呼ばれていたのだ。
駅の窓口で、乗り換えに余裕がある発車時刻の新幹線の切符を買い、電車にゆらゆらと揺られ……、うっ、ゲロが喉元まで這い上がり、ぐっとこらえてそれを飲み込んだ。目の前にいた女の子がすっと離れていく。俺が吐く息には、揮発したアルコールが混じっていた。
名古屋駅につくと東京方面の新幹線のホームへと歩いた。名古屋駅の新幹線のホームではいつもきしめんを食べている。だから乗り換えの時間には余裕を持たせているのだ。いつものように立ち食いきしめん屋の自動販売機の前にたった。しばし悩んだが、さすがに気分が悪すぎたので食うのをやめることにした。ペットボトルの水をガブガブと飲み、缶コーヒーを買って飲んだ。
切符を見て14号車が停車する場所まで歩いた。ベンチに座ってザックから台本を取り出し、それを見直しながら新幹線が来るのを待った。そろそろかな? と思い電光掲示板を見ると、「東京行き」とある。違和感を感じ、切符をもう一度見てみると「新大阪」……。
俺は大阪方面ホームへと、団体客を振り切りかき分けながら全力疾走をした。そしてギリギリ間に合った。油の汗が、背中と脇に膨大な量で染み出ていた。のぞみに乗れば新横浜まで止まらない。危うく俺は、モンベルの辰野会長に2時間尺を延ばして喋ってもらうか、グレートジャーニーの関野吉晴氏に早入りしてもらうか、新横浜のネットカフェの個室からスカイプで講演をするというウルトラCをやらなければならないところだった。危ない。
 会場のモンベル本社につくと、広報部のオフィスで写真を見直しながら、小声で台本を読み直した。時間がくる――

「続いての講師、宮城公博さんをご紹介します……」

壇上にたつ俺の横には、青い顔をしたモンベル広報部のスタッフが三人、慌ただしくパソコンをなぶっている。俺が持ってきUSBメモリーが、モンベルのセキュリティーに弾かれ読み込めなかったからだ。さらに、俺のパソコンと会場に用意されたプロジェクターを繋ぐケーブルもない……。写真と動画ありきのスライドショーを考えていたのだ。台本だって写真に合わせて作ってきている。このまま写真が見せられないとなると、俺はこれからの1時間を「お喋り」のみで乗り切らねばならない。
絶体絶命のピンチに陥っていた。この日の為に貴重な休日を裂いてくれたお客さんの視線がドスドスと突き刺ささる。俺は全身を縛られ樽の中に閉じ込められた後ひと刺しで昇天する黒ひげ危機一髪になっていた。助けを求めて司会の女の子の方を見ると、女の子は冷徹な視線を私に向けていて、それはトドメとばかりに俺の心臓に突き刺さった。
そのとき、風邪と二日酔で朝霧の靄がかかっていた俺の脳内が、完璧な白、「無」になった……、それからのことは、記憶にない。
幼少期に虐待を受けた子供が、トラウマから立ち直るために自らの記憶を消去するように、俺の脳も、俺が明日からも前向きに生きて行けるように、あの凄まじい辱め、公開凌辱の記憶を消したのだ。
記憶はないが、おそらく俺はあの会場で、お客さん全員からの冷ややかな視線をうけ、失笑を買ったのだろう。司会の女子からは「ちっ、せっかくチャンスやって呼んでやったのによぉ、台無しにしやがって」という、背中が凍り付くような視線による暴行をうけたのだ。視線で暴力を振るう彼女のその眼光の悪絶さは、まるで称名廊下の水のように私の体力と体温を奪い……。

と、いうほどまでは俺の頭は真っ白になっていなかったが、ひどくショックをうけ、記憶が曖昧なのは本当である。何を喋っていたのか俺が分からないのだから、お客さんはもっと分からない。そして、司会をやっていた女の子は「ちっ」とかは言わない、いい人だ。

と、いうわけで、「何があるか分からない、こういうことがあるのが冒険」という、中学生が考えたようなプリミティブなオチ。皆さま、勘弁して下さい。

そして夜、広報部と痛飲し、ネットカフェで寝た。悪夢? 見たよ。


モンベル冒険塾講師 宮城公博

2015年10月22日木曜日

風俗日記

10月21日(水)の日記
下ネタなんですが、けっこういい話だと思うんだけど。


8時・起床、二日酔で気持ち悪い。水飲んでごろごろする。 
10時・スーパー銭湯にいく。平日の銭湯は老人たちのサロン。俺だけ若い。でもサウナ我慢比べで爺たちに負ける。 
12時・湯船で血行が良くなったのか、股間がムラムラしてきたので、スマホでチェックして駅前の風俗(ピンサロ)にいくが、待ち時間が長く、他の店にオンサイトでぶらりと入る。 
13時・テキトーに入った店だが、パネルで可愛い子を見つけ、当たりだ!と思って、喜び震えてニヤつきそうになるのを我慢して、「じゃあこの子で」と、クールに指名。歯を磨き、うがいをして、爪を切り、入念に爪をとぐ。

5分後、マシュマロ系というか、ビアダル系女子が出てくる。がっかりする。なぜ、さっきの店で1時間待てなかったんだ、このバカ野郎!と、心の中で愚息に罵詈雑言を吐く。ブーデーとはいえ、快活で人当たりのいい子だけに、この子には悪いが、ちょっとイケないかもなぁ、と思うと、しんみり。

10分後、射精。不覚にも、愚息を拭いてもらうときにはフル勃起しており、なおかつサービス精神旺盛な嬢で、凄く気持ちよく、いつも以上に速射であった。 

3分後、お茶しながらピロートークタイム、このマシュマロ女子、ヌかれる前からよく喋る女だなぁと思っていたが、話の内容がむちゃくちゃ面白くて、これは可愛いだけの子より、はるかに引くのが難しい大当たりであると、反省した。近隣の店のガサ入れ裏話、性に対する探究話など、内容もディープでくっそ面白かった。

 嬢「気持ちよかった?それにしても、すっごい、いいサイズでしゃぶりやすいチンコでした」 
俺「なにそれ?生まれて初めてそんなん言われましたわ、ていうか、そういうのあるのね」 
嬢「ありますよぉ、なんというかサイズ感が私の口にぴったりでやりやすかったです」 
俺「ヌキ屋ならではの斬新な表現で、そのセリフ感動です」
嬢「舐め太郎さんって、どんな性癖があるの?」
俺「いたってノーマルだとは思うんだけどなぁ」
嬢「私もそう。でもね、追及したいのよ、性に対して、そういうのない?」
俺「まぁ、あるっちゃある。前立腺マッサージとか、そんなに気持ちいいのなら、人間としてせっかく生まれたんだから、やっておかなきゃってのは思う。なかなか思い切れなくて先延ばしにしてきたけど」
嬢「せっかくだから、気持ちいいことって追及した方が、人生ぜったいにいいと思うの。このお店は前立腺マッサージしてないし、ここでやっていいのかわかんないけど、私、お客さんに言ってるのよ。ローションとかちゃんともってきてくれたら、やってあげるって。それが合う合わないは人によると思う。でも、知らない世界を経験することって大事でしょ?人生ってそれがどれだけあるかじゃないかしら」
俺「あぁ、僕もそう思う。性的なことだけじゃなくて、あらゆる面でね」

……。

俺「最近、風俗って行ってなかったんだけどさ、久々に来ていいなぁって思ったよ。お姉さんの話、すごく面白いし。特にこの手のピンサロって味があっていいよ。デリヘルより僕は店舗型の風俗の方が好きなんだよね。店舗の方がなんか、街で遊んでるって感じがあるでしょう。でも最近は店舗型の風俗って減ってるよね。10年前と比べるとさ、最近は栄や錦もすごく寂しくなってるよ。デリヘルブームと不景気、行政の浄化作戦とかで、今や歌舞伎町ですらサッパリしちゃってるしね。でもここらの風俗とか街並みって、俺が高校のころから変わってなくて好きだな。地方じゃ、こんなとこもう珍しいよ」 
嬢「そうなんです!風俗って日常から一歩離れたとこにあるべきで、お客さんに非日常を提供しなきゃいけないと思うの。デリヘルだとホテルだから、非日常感が少ないよね。家から電話して予約して、車でインター近くのホテル行って……。それって効率的だけど、ちょっとドライで薄まった行為だと思うの。雰囲気もね、同じヌキでも違うの。例えば、同じものを買うにしても、昔ながらの商店街で買い物するのと、郊外のイオンで買い物すること、あるいはアマゾンでポチっとでじゃずいぶんと差があるでしょう。だからね、私は昔ながらの店舗が好き。日常の街から扉一枚隔てて別世界があるでしょ」 
俺「わびさびの世界やなぁ。俺もまったくの同意見。呼び込みやボーイさんもいろんな人がいて、楽しいし。待合室で他のお客さんと一緒になるのもなんか、いいしな。常連にならなければ、もう一生会わないんだろうけど、お客さんもその瞬間だけの同志なんだよ。親ぐらいの年の人や、普段はエリートサラリーマンだったりする人が、同じ目的で隣に座ってドキドキしながら待つ。プレイに入れば壁を隔ててエロいことをしている。絶対に普段は関わらないような人種が、そのときだけは同志なんだよね。ちょっと気恥ずかしい感じがあるけど、それも味わいでさ……」


やはり、クライミングと風俗というものは、非日常感という部分でつながるのだと、嬢の話を聞いて再認識。対面したときはがっかりしてたのに、帰るころには、また指名したいどころか、この子と付き合えたら人生楽しくなりそうだなぁと思っており、完全にやられてしまっている。すばらしいヌキ屋だった。

14時 駅前の海鮮カフェでランチ 
15時 ボルダージムで、スタッフといかにして女子客を増やすかバカ男子会議→俺がジムTシャツを作り、さりげなくアピールするという話になる。(強引にアホ話に付き合ってもらっただけだけど)
18時 さっそくヤマダ電機でプリントTシャツ用紙購入
19時 お絵かきして、プリント。 
20時 ジムに戻って、シャツお披露目する。俺は人前でうんこするのもオナニーするのにもなんの羞恥心も感じないが(人前でオナニーしたことないけど)、これは恥ずかしかった。 (なんのプレイだよ、あと、ここ(セクシーブログ)でホームジム公開するのは営業妨害ではないかと思えてきたけど、まぁ、いっか。たのむ、出禁にしないでくれ!)
21時 スーパーで買い物 
なう 鍋食いながら晩酌して、つらつら 



書いてるときは脳が熱暴走していてイケてると思ってたけど、いざTシャツに貼り付けると、むちゃくちゃダサいし恥ずかしくて後悔した試作Tシャツ用イラスト。イラスト女子は世界の野口のあきよちゃんのムーヴトレース。さすがにこれでTシャツは無いな、と、思った。(マゾのオナニーや)。あと、どうでもいいがクライミング”好”ジムではなく、クライミング”女子”ジムです。そもそも女子専用のジムじゃないんだけどw




貧乏なので金銭的に明日も風俗探索ってわけにはいかないけど、たぶん明日も似たようなゆるい1日を送る。
無職さいこー!!働いてる人、ざまーみろ!!(原稿締め切りが恐怖で現実逃避している)


知、いろいろ

今月からエイ出版ランドネで、女子向けエッセイ連載。

あこがれ続けた念願のアウトドア女子雑誌掲載なのに、いきなり風俗ネタと合わせて告知してるし、なんて天邪鬼なんだろう、俺は。30過ぎてもいい子になれないですねぇ。以前、某有名アルパインクライマーS藤U介氏に「舐めちゃん、もう30過ぎてたの!?落ち着かねぇ30代だなぁ」と言われたけど、まぁ、僕はそうとう頭を強打しないかぎり、落ち着くのは無理だろうなぁ。あ、S藤U助って、佐藤裕介な。
ランドネもせっかくチャンス頂いたので、速効の連載打ち切りにならないように頑張らねば。基本的にはサブカル&女子話です。第一回はジャージ女子と、ジャージの機能性の良さについて書いたのだけど、よくよく考えるとこれってメーカーも敵に回すなぁ。わはは。そら山ではきちんとしたアウトドアブランドの服の方がいいに決まってんだけど、貧乏人には安物系も大事なのよね。オシャレ的な観点で言っても、ハイキングやボルダー程度なら街ブランド混ぜた方が幅でるし、すっげー可愛い子がワークマンの服着てたら、萌えるでしょう。(俺だけ?)
まぁ、スキーヤークライマーの故・新井裕己が山と渓谷社・ロクスノで連載していたハードコア人体実験みたいなもんということで。ま、僕には東大行ってた新井氏のような知識も知性もないが。なにせ最終学歴、工業高校卒ですから。ちなみに僕はいつもインナーは割とメーカーのいいの着てて、外はジャージとか、寝間着みたいスウェットとか、ボロボロの作業着です。自分で言うのもなんだが、たぶん、僕ってクライマーとしては日本でトップクラスに藪漕いでると思うんだけど、この手の登山って一瞬でアウターがズタボロになります。だからアウターはワークマンの作業着とか、買い取り王国とかBOCK・OFFの中古化繊服になっちゃうのよね。あ、でも、僕、高校生のときはDCモードってて、原宿オシャンティー世界代表のスマート編集部発行のFRUiTSにスナップされて1Pデカデカ乗ったことがあるねんで、これ、自慢ね。

1025日 名古屋IBS石井スポーツで四角友里、YURI'S Market(告知とかいって、参加はお客としてです。アウトドア女子のカリスマ四角さんにとって、こんなイメージダウンになる告知もないなぁ。ごめんね)

1031111日、三重県いなべ市青川峡キャンピングパーク、ランドネ山大学。さっきイベントの存在を知って、近場だし俺も行っていいですか?と、おされ女子編集者のY女史にダメ元で聞いたら、奇跡的にOKもらえた。なんと、天女のような優しさ、目から鱗だ。現場では基本的には黒子に徹し、スタッフやお客様の荷物持ち・靴磨きでもしようかと。イベントに参加されるかたは、手元・奴隷のようにお使い下さい。(これもアウトドア女子最高峰ランドネ&いなべ市のイメージダウンだなぁ、僕としてはオサレ女子とたき火できるだけで、人生の本懐なんだけど、これに比べたら称名廊下の完全遡行とか、小さなもんだ!大西さん、ごめん)

1114日モンベル大阪会場で2015モンベル冒険塾・講師

ゴルジュと冒険論を話す予定ですが、僕は完全に箸休めのネタキャラ。他の講師陣がおべんちゃらではなく本当に豪華。
(モンベル辰野会長、グレートジャーニー・関野良晴氏、紛争解決請負人・伊勢崎賢治氏)



では!

2015年10月18日日曜日

2015 称名廊下

称名廊下2015

「日本最後の地理的空白部、称名廊下」、日本一の滝・称名滝(350㍍)の上部に存在するこのゴルジュは、約2㌖に及び、200㍍の両岸に挟まれ悪絶な水路と滝を構成している。2013年、東京の大西良治による単独での計3度、のべ11日間に及ぶ遡行が成功するまで、このゴルジュは日本最後の未踏の地として君臨し続けていた。
 この秋、私とパートナーの藤巻は、この称名廊下を1プッシュ、1度の遡行で突破するつもりで称名の前に立った。廊下内を側壁の登攀に終始するか迷ったが、私たちは極力水線沿いに突破するゴルジュストロングスタイルと呼ばれる方法を選んだ。藤巻は泳ぐのがどうしようもなく好きなのだ。
 入渓前、雨が降り続き、普段は渇水のハンノキ滝は、春を思わせる豪瀑と化している。こんな状態で世界最難のゴルジュに入る。キチガイ沙汰であるが、それぐらいの覚悟を決めないとやれない。あぁだこうだ言い訳していたら生涯この課題を触ることすらままならない。
 一昨年に空荷でトライしたとき、駐車場からF9までをほぼ空荷とはいえ日帰りで往復していたので、初日はF11手前まで行くつもりであった。だがそうは上手くはいかない。増水と7日分の荷が入ったザックのおかげでペースが上がらなかった。
「こんな所で落ちるわけないだろう、ランナーやビレイ点に時間をかけすぎだ」
 と、慎重な登攀を続ける藤巻に苛立ってしまい、一回り以上年上の彼に対してつい口にした。
 逆に藤巻は5センチ飛距離が足りなければ350㍍吹っ飛ぶ称名滝ジャンプや、濡れた側壁をろくにランナーを取らずにサクサク進んでいく僕に恐怖を覚えたらしい。たしかに、出だし9ピッチは2回目なので、落ちないといっても5.95.11台のピッチが連続し、おまけに一昨年と違い壁はぐしゃぐしゃに濡れていて、背中には重量級のザック。増水して濁流と化した水路は落ちればどこでも死ねる。僕は気合が入りすぎておかしなことになっていたのかもしれない。
 かと言って、僕は僕で、出だしから「時間短縮」といって増水した水温5~6度の釜を泳ぎだす藤巻を見て、「頭がおかしい」と思っていた。
 入渓初日は大西河原でビバーク。平な場所など殆どないゴルジュ内にあって、3畳ほどの奇跡的な河原。ゴミと湿った小枝を燃やしてたき火をする。アプローチ用の靴の中敷き、プラティパスの水筒、予備の手袋、予備の防水用の袋、ネオプレーンのリストバンドなど、無くてもよさそうなものは思い切って燃やした。粗食をかじり、わずかな火で暖をとる。かじかんだ足に血流が戻る。
 湿度100%の中でもたき火ができるようになったのは、ここ1年のタイ、ミャンマー、ガダルカナルでのジャングル長期遡行の経験のたまものだろう。おかげでクライミングからは1年遠ざかっていたが……。
 ガダルカナルに行く前は、長期遡行にそなえて体重を76~7キロまで増やしていたが、それから1か月ちょっとで称名にそなえて66キロまで体重を落とした。ガダルカナル帰国後はジムで5~6級のボルダーが登れなかったが、2週間で最終的には1級が登れるまで調節した。時間が無いなりに身体をクライミング仕様にしたつもりだが、急激な体重の増減で体の耐久力が落ちているのを感じた。寒さがきつかった。
 2人で1.3Lもってきていたハードリカーは昨夜、入渓点手前でほぼ飲み干してしまっていて、水で30倍ぐらいに希釈されたブランデーを飲んだ。あこがれ続けた称名のど真ん中で、たき火と酒、沢ヤの本懐だ。
 シェラフに潜り込む。気温は0度近くまで下がる。谷底には水の冷気と滝のしぶきと風、気温よりはるかに寒く感じる。2人とも夏用のペナペナのシェラフにペナペナの防寒着、ほとんど眠ることはできない。
 朝、むちゃくちゃ顔がむくんでいるといわれた。2人ともウォータースポーツ用のドライスーツに身を固め、きついクライミングシューズで攻めたのは良かったが、そのせいで手足がうっ血し、顔がアンパンマンのようにむくんでしまっていた。クライミングシューズを履くのが苦痛だった。
 F10手前で藤巻が水流を渡り、被った壁をネイリングで上がる。一度フォールして水面にたたきつけられる。何十ダースという浮石を落としながらつるべで側壁を登攀していく。
 ボロボロの壁に決めた小さいナッツ一本で水面まで懸垂し、今度は私が水面から垂壁をネイリングで登る。リスが柔らかく、ピンが抜けてフォール。2メートルの高さから藤巻に体当たりする。藤巻が悶絶した。
 幸い、藤巻の怪我はひどくないようだが、自分が焦っているのが分かった。駄目だ、落ち着け。再び慎重に登っていった。
 体感5度の冷水と濡れた壁の登攀が続き、手足は痛み以外の感覚を失っていた。
そんな状態で目の前にF11のラインが見える。攻めたラインで登ろうとするなら、びっしょりと濡れて被った壁をプアなプロテクションでランナウトすることになる。核心はボルダーで1~2級ぐらいになるだろう。気合を入れて取り付いたとしても、成功確率は五分五分。
 ランナウトに耐え、吠え、登る自分を想像する。落ちる自分を想像する。
 落ちてピンが抜ければ水中に落ちる、はたしてこんなボロボロの身体で冷水流の中からユマーリングで脱出できるのだろうか。最悪、流れに飲まれて溺死するかもしれない。
仮にこの1ピッチが成功してもこの先はどうだろう。F11よりさらに厳しいであろうF12~が、黒光りしたいかつい壁をたずさえ、凄まじいプレッシャーを放っている。
残りの日程、食料、天気、体のコンディション……。完全遡行するつもりで入っていた気合いと集中力が切れたのが自分でも分かった。
「あぁ、駄目だ。1度でも弱気になったら、こういうのはもうダメだな。やめよう。ここでビバークして明日、戻ろう」
 湿った外形したテラスに、ハンモックをぶら下げ、ミノムシのように寝た。自然落石がすぐ傍をかすめる。ほとんどお座り状態で吹き曝しの風、寝られない。ハンモックでは小便するのも服を着替えるのも重労働だった。K6の氷壁での雪崩に打たれ続けてのお座りビバークを思い出した。
 戦略が間違っていたのだ。水に触れながら完全遡行できるほど称名は甘くなかった。
 翌朝、足は病気のようにパンパンに浮腫んでいて、完全に靴が履けなくなった。敗退するといってもここから落ち口まで12~3ピッチの悪い側壁登攀をすることになる。リードは藤巻に任せ、クライミングシューズをスリッパ履きにして、フォローに徹する。垂直のクライミングと違って、永遠トラバース、しかも下りになるのでフォローも必死だ。
 F5の横の濡れた窪地でもう1泊ビバーク。翌朝の雨予報におびえながら寝た。
 朝、晴れている。よかった。出口まではもう少しだ。
 細かく記録をとっていなかったが、F11までで約18ピッチ、帰りが約14ピッチ、短く切っていたとはいえ、4日間の登攀で約32ピッチもロープを出したことになる。
 30枚あったハーケンは懸垂支点などで10枚までに減り、50メートル分用意した6ミリロープも懸垂下降の捨て縄などですべて無くなっていた。
 減水して来たときの半分ほどの水量になった称名滝落ち口をジャンプする。350㍍下には称名滝の展望台に多くの観光客が見えた。
 出口となる称名滝の落ち口から大日平へ向けて2ピッチ登る。さっきまですべての衣類を着込んでもガダガタと震えていたのに、たった60㍍谷から離れただけで暑さを感じだし、Tシャツ1枚になった。さらに2ピッチ登り、藪をこいで大日平の草原に飛び出す。上裸になって日差しを楽しみ、濁った水たまりの水を飲んで乾きを癒した。地獄から一転、楽園だ。
 対岸には室堂へ向かうバスが見える。藪をこぎ、登山道を降りると紅葉の滝見の多くの観光客がいた。
「女だ、女。生の女。はぁ~、やりてぇなぁ。あと酒、琥珀色のウィスキーのダブル」
「出ました、ナメちゃん、ほんと外道クライマーだねぇ」

周囲を観光地に囲まれながら、他に類を見ない隔絶された世界を築きあげている称名廊下、日本の宝であると思う。


また来年だな。
舐め太郎(宮城公博)


 
入渓時、連日の雨で増水したハンノキが迫力


藪漕ぎと4ピッチの懸垂で称名滝落ち口へ、夏冬合わせて4度目の光景だ。


増水した称名ジャンプをする藤巻。失敗すれば350㍍吹っ飛ぶ。
思えば僕は6回もこれをやっている。


F10、水中から新ラインで攻める藤巻


左壁が敗退を決意したF11のライン。ダイレクトトラバースは魅惑的だが、これは上から斜め懸垂が正解だろう。


行きは右から、帰りは左から。


大日平の草原、何度来ても天国のようだ。地獄のような称名とのギャップが素晴らしい

2015年9月29日火曜日

ガダルカナル、ガ島、餓島。


ガ島(ガダルカナル島)に3週間滞在した。ガ島の沢を継続して北から南へ、海から海へと15日間かけて横断した。単独だ。
ガ島の沢は集水面積からは考えられない程に水量が多い。これで乾季だというから驚きだ。いったい雨季にはどれだけの水量になっているのだろうか。乾季といっても、山の中ではほぼ連日のスコールに見舞われた。夕方だけザっと降るという訳ではなく、日によっては朝から朝まで降り続く。しとしと降り続けていたかと思えば、ときに猛烈な雨に襲われる。熱帯なので寒さを感じなかったのがせめてもの救いだが、テント内はプールになり、あらゆるものが濡れて不快だった。何より気分が沈む。晴れると一転して気持ちがいい。鬱蒼としたジャングルが続くが、ところどころ木々の隙間から日が差し込む場所があり、日光浴を楽しんだ。本流の大渓谷は最大で川幅が60メートルに及ぶところもあり、そのような場所では全裸になって釣りやボルダーをひとり楽しんだ。
グーグルの地形図や航空写真を見た限り、ガ島には台湾のような大ゴルジュや巨瀑は無いが、濃緑や黄緑、ときにエメラルドパープルの苔に覆われた美しいゴルジュや、50~60メートルクラスの大滝が散見された。
思ったより害虫にも悩まされることも無かった。帝国陸軍が散々悩まされたマラリアを警戒して、蜂屋が使うような網かぶりを初日だけしていたが、不快なので2日目からは外した。たぶん、日本の夏の方が蚊は多い。タイのジャングルで見舞われた獰猛なアリもいなかったし、南国特有のトゲトゲの植物も少なく、藪漕ぎにもそこまで苦労はしなかった。雨がもう少し少なければ本当に快適な沢旅だったと思う。
 遡行中、たき火をしていると、帝国陸軍の亡霊が繁みに見えた。毎日見えた。たぶん、映画「シンデットライン」の映像がフラッシュバックしていたのだろうが、盛大に火を焚いて慰霊した。豪雨の日も、気合を入れて火をつけた。

横断後、島南部の部族の集落に飛び出し、3日ほど現地の人の世話になった。海沿いにある集落には文明とは無縁の昔ながらの生活をしている人たちがいるだろうと思い、楽しみにしていた。
思った通り、集落の人たちは半裸に裸足、女も年寄りは胸をさらけ出していた。高床式の小屋に住み、ほとんど自給自足の生活を送っていた。だが、古いスマホは持っていて、ゴリゴリのテクノを聞いている人もいるし、ボブマーリーが好きでスピーカーで爆音を鳴らし、髪型まで真似ている奴もいた。今時、どんな辺境にいっても、今時なのである。
ガ島は徳島県程の面積に10万人ほどの人口を抱えているが、そのほとんどは北部にある首都ホニアラに集中している。南部の海岸線には十数人から数百人規模の集落が点々としているだけだ。集落には道路も空路も無く、ときおり採れた果物や煙草、ビダンナッツという噛みタバコのような課物を小型のボートで首都ホニアラまで出荷して米を買っている。

山から降りて最初にあった奴がかなり面白かった。村はずれに住んでいて、顔や体に傷、ニットをふかく被っていかにもブラザーな見た目をしている。
「ヘイ!ブラザー!どこから来たんだ!?」
「北の街から12日かけて山を横断してきた」
「ヘイ!そいつはお疲れだな。ここは俺の畑だ。まぁ休んで行けよ」
 畑には大麻が植えられている。コカもあったかもしれない。
「俺はこいつを売って、銃を買うんだ。それからやることは分かるだろう?ヘイ!ブラザー、泳ぎ疲れているだろう。お前もスモークしてレストするかい?」
牧歌的な沢旅のあとに、ずいぶんまずい場所に出てしまったかと思ったが、そこから先の集落の人たちはまともだった。子供たちと遊び、村の若者とココナッツクライミングを楽しみ、現地の強烈なタバコを吸い、女たちにはちょっとモテた。
ただ、私が期待していた僻地特有のフリーセックス&ドラッグで、長老が「外部の種が欲しいんだ、ジャングルマン!うちの娘にいっちょ種付けしてくれないか?」ということは無かった。「セックスしてーなー!」と大声で叫びながら遡行していたので、そこはちょっと無念である。

 首都ホニアラに戻ると、100人からの人に囲まれ、写真を撮られた。中国系の商売人は多々見られるので黄色人種が珍しいということはない。いったい何事かと思ったが、聞けば山を横断した変な日本人がいるということで噂が広まり、私は有名人になっていたらしい。
 なるほど、あの集落の人はTwitterをやっていたのかもしれない。

なめたろう(宮城公博)



2015年6月1日月曜日

奥美濃と女

日本列島が太平洋に向かって大きく弧を描くそのほぼ中心、弓ならば握りの部分にあたるのが奥美濃である。こうでも書きださないと、位置概念さえ摑んでいただけないところに奥美濃のすべてが尽きている。それもまた当然である。何もない。高岳もなければ名瀑もない。もちろん温泉もない。秘境という程でもない。知られていないのも当然である。したがってもう少し補足するならば、北は白山から南西を俯瞰するとき、南は伊吹山から北東を展望するとき、見はるかす彼方まで重畳として緑の山なみが続いている。それが奥美濃である。(中略)登山道はない。山小屋、指導標の類も一つもない。ただあるのは本物の藪と谷だけである。(24P 三訂 奥美濃 ヤブ山登山のすすめ 高木泰夫


 2015年の1月某日、奥美濃の明神山にある明神洞、その右岸のリッジを2泊3日の予定で登りにいった。雪稜だ。
パートナーは女子、それも人妻だ。僕のテントは1~2人用の古いテントでかなり小さい。シングルベッドの2/3ぐらいの面積しかない。そんな空間で年頃の男と女が酒を呑んで密着して2泊。これはただ事ではない。
 ただ事ではないが、山の世界ではよくある話でもある。どうも、山では男女が密着していても何事もないらしいのだ。夫婦や恋人でもないのに男女で登山をしている人に会うたびに、「意識する?」「なんかあるんじゃねぇの?」と聞いているが、返答はだいたい一緒だ。

「山では性別は関係ないよ。意識しないね。男同士と同じ感覚」

本当だろうか。男女が密着して寝泊まりし、岩を登り、雪をかきわけ、艱難辛苦を共にするのである。男の技量・経験が上の場合、女子的には「頼れる男性」になり惚れる要素が発生するだろうし、男としては女子に頼られれば気分がいい。本当に男女を意識しないのだろうか。

明神洞は奥美濃の黒部と呼ばれている。“洞”というのは奥美濃地方の“切れ込んだ沢”を意味している。と思っている(調べた訳ではない)。奥美濃の黒部といっても、本物の黒部に比べたら1/100くらいのスケールしかないし、遡行者は皆無に等しい。ネットで調べて出てきた記録は2件だ。冬の記録など、当然ない。記録がないと分かると、冬の明神洞の景色が見たくなるのは沢ヤの性だ。加えて、男女で密着しても大丈夫なのか?という疑問も解消せねばならない。

(中略)

・テントで、僕が「ションポリとか気にする?」と聞くと、この女子はションポリ(小便用のポリタンク)を知らなかった。これは少し気を遣う必要があるなと思った。

・雨で1日停滞した。本降りの雨がテントを叩き、会話もままならない程のときもあった。尿意をもよおした僕だが、狭いテント内でションポリにじょぼじょぼするのは婦人に対して礼を欠くと思った。とはいえ、テントの外に出てずぶ濡れになってまで小便をする気概はない。あいだをとって、テントの入り口から半身を出し、立小便をした。すると女子から、「今まで一緒に登山してきた人が、いかに紳士達かということが分かった」と返された。そもそも、雪山で雨が降るのが分かっているのに、テントかついで雪稜などしないらしい。

・酒飲んで密着して寝てるとき、俺は少し彼女のことを意識してしまった。でも思ったほどではない。ムラムラして勃起などはしていない。下山後、電話で女子にそのことを聞いたら「意識?そんなの全くない」だった。

・テント内で女子から「舐め太郎さんにおススメの面白い本がある」と、「奥美濃――ヤブ山登山のすすめ――/高木泰夫」を紹介された。本の話で盛り上がり、帰って買おうと思った。


で、下山して2日後、著作者の高木先生の訃報を知った。僕はアマゾンで本書をポチっと押し、一気読みし、感慨にふけった。


 ちなみに、明神洞は凄かった。たしかに黒部だ。周辺のたおやかな山容のヤブ山の中にあって、明神洞周辺だけが異様に切れ込んでいる。リッジもやたら細い。同じ奥美濃の稜線上にある昨年登った夜叉壁、後日登った冠山南壁と共に、なだらかな山域にあって、何故か一カ所だけ岩々しいのが興味を引く。しかも、全てチャート質の岩だ。かつてここは海の底で、今僕がアックスを引っ掛けている岩は生き物だったんだなぁ、と思うと感慨深いものがある。



もっと奥美濃のヤブを漕がなきゃな。

2015年5月7日木曜日

身延線と女

 無職の私にはGWとか関係ないのだが、3日間、焚火とゴルジュをしてきた。

 朝4時に起きて慌ただしく支度をし、JRの春日井駅から中央本線に乗り込み、長野の小淵沢を目指した。小淵沢に住む39歳の女子と沢登りの約束をしたのだ。
中津川で乗り換えると、そこから塩尻までの区間はワンマン列車になり、木曽川沿いの静かな列車の旅となる。特急しなの待ちや、すれ違い列車待ちで列車はたびたび駅に10分程停車した。近くに60代半ばぐらいのおっさんが二人座っていた。おっさん達は日帰りザックと山用ストックを持っていてトレッキングシューズを履いている。どうも彼らは列車でたまたま出会った2人のようだが、中山道歩きで意気投合し、極めて大きな声で峠がどうのこうのという話を繰り返していた。
 私の対面には90歳ぐらいのしわくちゃのババァが座っていて、私のボロボロで巨大なザックを見て「何処の山に登るの?」と声をかけられた。「福士川ゴルジュに沢登りに行きます」と答えたところで通じないだろうから、富士山の近くの山へハイキングへ行きますと答えておいた。
 私はこう見えて、ババァと話すのは嫌いではないので、最初は会話を楽しんでいたが、列車のあまりに遅い進行速度と、度重なる停車に膀胱がかなり膨れ上がっていた。小便がしたかった。
 そこらへんのトレッキング客に紛れて列車を降りて小便をすることも可能だが、ババァに山梨まで行くと言った手前、途中で降りるのは「あ、この小僧小便の為に降りるのだ」と思われてしまうのも癪だし、1時間に1本とか、時間帯によっては2時間待ちをするこの列車から降りてしまうと、約束の時間に大きく遅れてしまう。ババァの会話を適当に流し、隣のジジィのでかい声での東海道話にイライラしながら、塩尻までの長時間を我慢していた。
 塩尻に着くと、急いでトイレに駆け込み、放尿し、小淵沢行きの列車に飛び乗った。
 小淵沢駅から降りると、39歳の女子が待っていた。この39歳の女子とは昨夏、山関係の仕事で知り合い、先日も偶然、山関係の仕事で出会った。仕事の合間に沢登りのことを話していたら、「行きたい、連れて行って」という話になったので、今回のゴルジュ焚き火を実行することになった。「今度、下界の職場に遊びに行く」とか「山から降りたら一緒に沢登りに行こう」などというのは、リップサービスというか、社交辞令的な会話であって、実際には実行に移されないということが普通かと思うが、私は行くと言った以上7割ぐらいは実行するタイプであって、山から降りたらすぐに連絡をし、約束したのだ。時間あるし。

 39歳女子と合流した後、彼女の家に行って沢登りの準備をした。計画時に彼女に対し、事前にハーネス、つまりクライミングで使う安全帯を持っているかと尋ねたところ、持っているということだった。だから、彼女が沢登り未経験だということは分かっていたが、クライミングに関しては数回やったことがあるものだと思っていた。クライミングの最低限の知識、懸垂下降とかビレイ(ロープ操作)に関しては知っているものだと思っていた。
 しかし現場でいざ彼女のハーネスを見てみると新品だったのである。しかも、ハーネスにはカラビナがついておらず、ハーネス単体しか持っていないのだ。普通、ハーネスにはビレイ器というロープを操作する為の特殊な道具や、カラビナやスリングといった最低限必要な道具を付けているものだが、彼女はそれを持っていなかった。カラビナというクライミングをしない人でも知っている単語の理解度すら危ういレベルである。にもかかわらず、ハーネス単体だけを持って、ドヤ顔をしているのだ。この39歳女子は初心者というより、ハーネス持っているだけの素人だった。
 クライミングも沢登りも初心者だということは知っていたが、ここまで素人だったとは……。とはいえ、まぁ、なんとかなるだろうと思い、予定通り目的の福士川ゴルジュに行くことにした。




 福士川ゴルジュは、簡単でお気楽だが、初心者向けというには難しい部類に入る。過去の記録もほとんどなく、ネットで調べてもここ10年の遡行記録は出てこなかった。ただ、隣に遊歩道や林道があることから、ゴルジュ突破が駄目でも、なんとかなるだろうと思ってセレクトしたのだ。基本的には焚火をしながら酒を飲み、ゴルジュってこういうもんなんや、ということを知って頂ければ幸いなイベントだったのだ。

 ゴルジュに向かう途中、立ち寄った山梨で小屋作りに勤しむ友人の家でうだうだ立ち話をしてしまい、入渓が午後4時と遅れた。入渓点の釣堀の駐車場の親父からは、「この川は険しくてすっごい岩やねんで!遭難騒ぎとか勘弁してくれ」と言われたので、「ワイはこの道10年以上で、この業界では有名なすげぇ奴なんやで!」と自ら説明して、ロープやハーケンやらをジャラジャラと見せびらかし、「平気ですわ!」ということをアピールした。ちょっと恥ずかしいが、僻地のゴルジュを遡行する場合、こういうアピールをやっておかなかった為に、下の集落のおっさんに遭難したと思われて警察に通報されることは、たまにある。僕はそれでヘリまで飛ばされそうになった過去があり、敏感なのだ。

 初日はゴルジュ手前の河原で、ツェルトをタープ替りに張り、雨の中焚火をし、盛大に飲んだ。いきなり雨の中でタープ一丁で泊まるのは、女子にはハードかと思ったが、39歳女子はそれなりに楽しんでくれたらしい。

 2日目にゴルジュに突入した。たおやかな田舎な里山にあって、思った以上にハードゴルジュであった。そもそも5月の頭にゴルジュを泳いで突破するなど、僕でもほとんどやったことはない。水は多いし、冷たいし、本気で泳ぐ必要もあり、けっこう痺れた。でも、素人である39歳女子は、沢登りとはこういうもんだと思ったらしく、楽しんでいたようだ。「若いころに出会っていたら、絶対に沢にのめり込んでいた」と、有難い言葉も頂いた。沢ヤとしては嬉しい。

 なんやかんやと、いろいろ時間がかかり、最初のゴルジュを突破したところで、焚火をし昼寝をし、もう残りのゴルジュは面倒くさいから、一回、遊歩道で戻って酒を買い足し、飲みながら焚火をしようということになった。ちなみに、充てにしていた遊歩道は、土砂崩れでいたるところが崩壊しており、懸垂下降まで有し、ゴルジュ本体より不確定要素が高く、「やべぇ、こんなところで女怪我させたら洒落にならんわ」と、かなり緊張した。

 入渓点に戻り、集落の商店(謎の書類の下に商品が置いてある凄い店)で酒を買いたし、再び沢に入った。2日目の晩は雨は降らないだろうから、ツェルトとかテントとかチャラいものを使わず、オープンビバークで寝ようという話になった。
 たまたま39歳の女子が持って来ていたシェラフがモンベルで、僕もモンベルのペナペナのシェラフを持って来ていた。モンベルのシェラフは、2つのシェラフを連結して一つにでき、それで二人で一つのシェラフに寝れるようになっている。
 39歳女子が「連結シェラフで、男子と2人で寝るのが夢だったの」と言い出したので、連結したシェラフで2人で寝た。僕としても連結シェラフで女子と二人で焚火の側で寝るのは夢であったのでそれに応じた。もっと若い女子が良かったと思ってはいたが。
 僕が初めて連結シェラフで寝たのは、名古屋のモンベルでの店頭だった。35才の主婦と、カラコルム遠征前に連結シェラフの具合を確かめたいと無理やり付き合ってもらったのだ。二度目はカラコルム・パキスタンチャラクサ氷河でのクライミングでの本番だった。今井犬歯と中島けんろうという、今を時めくスーパークライマー達と魂のこもった登攀をし、氷壁にぶら下がるように男3人でひとつのシェラフで抱き合いながら寝た。
 3度目、このようなタイミングで、彼女でもなんでもない女子と、プライベートのゆるい山行で一緒に1シェラフで寝ることになるとは・・・・・・。人生とはよく分からんものである。
 浴びるように酒を飲み、2人で重なるように眠った。朝起きると、10メートル先に釣師のおっさんの釣竿の先端が見えた。ちょっと恥ずかしかった。

 ちなみに、重なるように眠ったと言っても、今回そこで卑猥な行為は行われていないし、これをきっかけに恋に発展ということもない、と思う。これは誓って言うので、関係者はこの件で後から僕をからかうようなことはしないように。頼むから。(じゃあ書くなよって話だが)

 沢を後にし、身延線に乗り込み、富士を眺めた。今年の富士山は雪解けが早い。数か月後、富士の仕事でまた39歳女子と会い、御来光のコーヒーを御馳走になるのだろうな。


 インサマー!今年もゴルジュの季節がやってきた!



身延線から東海道を、途中下車しながらぶらぶら帰ったが、なにわのエリカ様こと上西議員のような化粧の女が結構多いなぁと思った。