2015年5月3日日曜日

タコ部屋

タコ部屋労働
  1. タコ部屋労働(タコべやろうどう)とは、主に戦前の北海道で、労働者をかなりの期間身体的に拘束して行われた非人間的環境下における過酷な肉体労働である。 タコ部屋労働で使役された労働者をタコと呼び、タコを監禁した部屋タコ部屋(ないしは監獄部屋)と呼ぶ。 タコ部屋タコ部屋労働環境そのものを意味することもあった。 類似した状況は九州の炭田地帯にも見られ、納屋制度と呼ばれていた。(wiki)
 2週間ほど4畳一間におっさん4人で寝泊まりという集団労働をしてきた。とはいえ、あくまで短期の期間労働であって、タコ部屋と言える程の過酷さはない。飯も美味かったし、酒もたらふく飲んだ。おまけに飲み過ぎかつ山談義が熱くなりすぎて、「山っていうのはなぁ、うんぬん(中略)殺すぞ!!コラ!」と大先輩である超有名クライマーの胸倉をつかんで暴れていたらしい。
 その件のあと、なんとなくなのだが、普段はできない体験がしたくなって自分の仕事以外のことを手伝うようになった。12時まで飲んでいても朝5時には起きて厨房の手伝いをしたのだ。
 そんな僕の姿を見た同部屋のおっさんから、「どうしたんですか?舐め太郎さん。”殺すぞ事件”から人が変わったように働いていますね」と言われたので、「おいおい、それじゃ俺が反省して頑張ってるみたいじゃねーか!」と啖呵を切ると、「舐め太郎さん、今時アウトローキャラは流行らないですよ」と突っ込まれた。ちょっと照れた。
 僕は普段ライターを名乗っているが、基本的にはただの無職ゆえ、このような労働にちょこちょこ携わらせてもらいながら、生きていく為の糧を得ている。

 昨年は日本で一番酸素の薄い場所にある6畳一間に、むさくるしいガテン系親父12人という構成で寝泊まり労働をしていた。100キロぐらいの鉄板を右から左に運んだり、巨岩を大ハンマーで砕いて、その岩を右から左に運搬していた。そのときの飯は酷いものだった。インスタントラーメンを食べるにも、高所で水の沸点が低く時間もない故、50~60度ぐらいと、なんとなく暖かくなった湯をラーメンに注ぎ、ガリガリと齧った。このとき、「許せる温度の湯」というワードが生まれたのだが、ラーメンを作るのにはどう考えても許せない温度なのだ。胃が気持ち悪くなり、食えない者もいた。ラーメンが食えなくなったら、ガビガビのパンを食うしかない。

 そんな一見するとシベリアの強制労働を思わせる過酷な肉体労働も、不思議なもので短期であれば非日常的な初期衝動の感動によって楽しい行為として乗り切れる。粗末な飯を齧り、風呂にも入れず夜明けから夜更けまで働きながら、「どっちが重い石を運べるか競争だ」とか男子特有の競争が働き熱くなるのだ。「最低の労働環境だわ、二度とこんなことやるか!」と、自虐的なネタをゲラゲラ笑いながら楽しむ余裕もある。

 これが一生となるとそうはいかない。大手の印刷会社にいた頃は、家から会社に通っていたにも関わらず、一日30時間はザラに働いていたので、あの頃の方がタコ部屋感があった。2徹3徹も、今だけの労働だと思えば耐えられるが、これが一生続くのかと想像したときに絶望を覚えるのである。そう考えると、今の私はずいぶんと幸せな環境で生きていて、充実しているのだ。

 充実といえば、昨夜、友人の結婚パーティーに参加した。新郎新婦がDJを勤めるオシャンティーなBARで、スパークリングワイン片手に幸せを祝ったのだ。32年生きているが、人様の結婚を祝いにいくのは2回目である。
 そこで、友人みんなが結婚して幸せであるのに気づいた。「いいなぁ、どうしたらモテるの?結婚できるの?幸せな人生を築けるの?」と、ルサンチマン溢れる質問をしてみたところ、「舐めさん、実際のところモテるでしょ?」「あなたの人生は普通の人は羨みますよ」「嫌味に聞こえるから、そろそろそのネタできないですね」とdisられてしまった。確かに、その通りなのかもしれない。
 今この時代、サラリーマンをするより、酸素の薄い場所で鉄板や巨岩を運びながら労働するということの方が難しいし、ましてやアジアのジャングルを46日間もさ迷ったり、国内外の未踏の岩壁に挑戦しまくるっていうのは羨ましい話のはずだ。
 だからといってモテてはいないけどな。


追伸。ある人からアドバイスを貰って、今日から”沢ヤの・舐め太郎”と、”舐め太郎”に苗字を付けることになった。
 ここ数週間、新しい出会いが多くあり、舐め太郎の名前の由来を聞かれることが多々あった。その都度、舐め太郎の名前の由来を説明した。僕が舐め太郎を名乗り始めたのは12年前になる。そのときは”ドアノブ舐め太郎”と名乗っていた。これは検索されても重複しないワードということで名付けたのもだ。卑猥で胡散臭い僕のイメージとしての”舐め太郎”に、まず舐めないであろう物体である”ドアノブ”を付け足したのだ。系統としてはアントニオ猪木とか、マサ斎藤とか、プロレス的なネーミングだ。年月がたち、いつしかドアノブは省略され、ここ5年ぐらいは舐め太郎で通していた。

2012年に「ドアノブ少女」という、美少女がドアノブを舐めている写真集が発売されたのだが、僕のドアノブ舐め太郎が元ネタなんじゃないかと思い、少しだけ悔しい思いをしている。



沢ヤの舐め太郎

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