2015年1月27日火曜日

「俺、の間、凄い事実を教えてもらったんだよ。女っているじゃん。あいつらって、だいたいの奴が、男と違ってムラムラすることがないらしいんだよ。男はさ、なんにもなくてもムラムラするじゃん。毎日、xvideo見て、陰茎を上下にこするだろ?でも、女って動物は、自然にムラムラどころか、エッチな気分まで持って行くのが難しいぐらいなんだって。愛されたいっていうのが本質その為にエロアピールをするらしいんだよ。36年も生きてて、色々幻想が崩れたけど小学生のときに雄しべと雌しべの話を聞いて以来の、勉強になったわ」

いやいや、そう言いながら、絶対に女もムラムラするんだって。そりゃあ、男と比べれば少ないかもしれないけどさ、犬も猫も猿も発情するのに、人間の雌だけしないというのは嘘だね!ゴルゴ13読んでると、ゴルゴを見ただけでほとんどの女はムラムラしだして、”お金はいらないから、私を抱いて”ってなるじゃん。強いオスに、メスの本能は逆らえないんだよ。百戦錬磨のさいとうたかを先生がそうやって描いてるんだから間違いないね。分かりやすくムラムラしている男より、愛とかいうフィルターかる女というやからはやっかいな生き物であることは否定しないけどさ。って、まるで童貞みたいな回答しちゃったけど


「ちづるさんっているだろ。昔、友人と数人で呑んでいて、彼女と艶っぽい話になったことがあるんだよ。すると彼女、”色んな人とセックスしたいでしょ?ねえ?か言い出すのよ。あぁいう女は、俺は異端だと思うのよね。だって、あのとき、俺はずいぶんと酔ってたけど、彼女は下戸で、素面だったんだぜ。普通の彼女つくって、結婚して、幸せに生きるってことだけ考えて生きてきたけど、妙な感覚になったわ

昔、ナインティーナインの矢部が、女を口説くとき、”お互い、気持ちよくなるんだから、ええやん。なにを拒むん?”って言ったらしいのよ。僕はその頃、童貞ではなかったけど、10代のヤリたい盛りでね、感銘をうけたね。なんかそれを思い出すよ。そう考えると、やっぱり男も女も、性欲の本質って本当は変わらないんじゃないかな?女はフィルターかけてるだけでさ。とはいえ、もし、ちづさんに”セックスしない?”と誘われても、好みとか抜きにして、恐ろしくてできないかな。お互い気持ちよくなれるとしても、なんか、ちょっと怖いわ。あ、女って、そういうことか」

「ちょっとは分かってもらえる?お互い、気持ちいいならいい”そういうふうに考えていた時期が俺にもありました。って、バキじゃないけどさ。この年になって、やっぱ女って、本当に違うんじゃないかな。と、俺は思うんだよね」

「ところで、皆さん、どうしてそんな話してるんです?私は、女性にもそれなりに性欲あると思うけど、なんでまた女性の性欲のことを知ったんですか?私、昔、チャットをしていた人妻、数人から聞いたのですが、ヤリたい時はごちゃごちゃいわず、しようか?”と言われるのが良いそうです。

「人妻とそんなチャットしているあんたの性欲の方が気になる切り出し方だな。俺、性欲の話はH詳しく聞いたことがあるんだよね。性欲強そうだから聞いてみようと思ったら、よく言われるけどそんな事ない否定されちゃってさ。彼女、そういうところにカーテンかける女じゃないじゃん。それを聞いたら、今まで、街を歩くとき、常に女性を性的に気にしてたんだけど、そういう楽しみぐっと減ってしまったよ。あの性欲の神から祝福を受けていそうなH子でさえそうなんだから、づるさんのようなのは30人に1人ぐらいなんじゃないかな。というより、あの人は毎朝、ビタミン剤と間違えて媚薬でも飲んでるんだと思うわ。彼女とセックスしてしまったTという痛い男がいたんだけど、双方に別々に感想を聞いたら、どっちも”気持ちよかった”と、顔を赤らめたのよ。そんなの聞いちゃうと、誰として、その感想まで吹聴するような、オープンエロ女にエレクチオンできない股だけオープンしているのならいいのかもしれないが。自分で言うのもなんだけどさ、俺って肩書きみたらモテ要素あるじゃない。滅多にいないんだけどそれに興味を持女っているのね。そういう女とは基本的に関わろうとしないんだけど男だし、っぱり性的な意識は持っちゃうんだよね。ささやかなお礼とでも言うと格好つけすぎかもしれないけど。でも相手が期待してるのは性的なそれではないんだよね。目の奥に物凄い独占欲を感じるよ、あの手の女は。そう思うと、サッと引いちゃうのね。おサセって時々いるし話してる分には惹かれるときるけど、やっぱみんな朝、間違えて媚薬飲んでるんだよ

「童貞が聞いたら涙を流して悔しがるほど遍歴をもつKさんの、ここにきての女性の淑徳に対する信頼は、清々しいものを感じますね。私の調査だと、女性は好みの男だとテンションあがり、やはり求められると興奮するそうですね。お酒飲むとしたくなるという意見も多いですね

それって、調査する必要あったん?

食欲も、空腹を満たしたいというときと浜辺でハマグリ焼いて食べたいときってちょっと違いますよね。単にヤレるぜってだけじゃなくて、好ましいシチュレーションをイメージ出来ると盛り上がるんではないでしょうか。そう言えば、北欧の歌姫、性欲チャンピオンことビョークが言ってましたよ。”リハーサルは嫌い。だってセックスの前にリハーサルはしないでしょ”って」




女は、屹立した男の陰茎に優しく微笑むと、軽く目で撫で、そっと跨った。そして陰茎に手をあてることなく、洗練された動作で腰を下ろしていく。”にゅぷっ、じょぽっ”粘膜と粘膜が重なる官能的な音が部屋に広がり、男の吐息が漏れる。にもかかわらず、女のその動作には貴婦人が高価なソファーに腰を下ろすような、品格があった。膣は陰茎を根元まですっぽりと被うが、女の太ももの筋肉は盛り上がったままで、男に女の重さは伝わらない。じっと見つめていると、陰茎は、まるで植物の芽が陽光に誘われ土から顔を出すような、優雅さすら感じるじっとりとした速さで、膣内から顔を出していく。陰茎に浮かび上がる血管は、ドクドクと波をうち、はちきれんばかりに盛り上がる。そして今まさに土から顔を出さんというところで、その動作は停止する。2mm、いや、1mmだけ入っている。これが本当の先っちょだけや!それは挿入というよりは接吻に近い光景だった。2秒か3秒の間をおくと、女はまた優雅に腰を下ろす。それを一定のスピードで繰り返した。 

Declare Independenceっ!!リハーサルは嫌いよっ!!

ビョークはそう叫ぶと、5インチのモニターは嵐にでも襲われたかのような水をかぶった。潮水だ。彼女は血走った眼で数回、肩で息をすると、リモコンの停止ボタンを押した。5.1chサラウンドのスピーカーは”にゅぷっ”と響かせたところで”ブッッ!”と、音をやめた。


「って、性欲チャンピオンって面白いな。Kさん、とっとと出世して、早くテレ東を買収しましょう。ビョークの対抗馬となると、今なら矢口マリ、小保方さん、衆議院議員の野田聖子あたりかな。モニカルインスキも呼べるようなら呼びたいね。
例のかっぽう着を着た小保方さんが、なぎら健壱に手コキしながら、スポイトを尿道に突っ込んで、斜め45度で微笑みながら、スタップ細胞は、あります!って、その瞬間になぎらが射精するんだけど、なぎらのじじぃは、じじぃの癖にオナニーのやり過ぎで、精子が飛ばなくて血の混じった液体がどろどろ垂れるだけなの。小保方さんって、天性の詐欺師なんて言われてるけど、いうても清純派なので、滴り落ちるなぎら液に”キャっとか言って手を放しちゃう。そこですかさず野田聖子が出てくる。野田はお前はピカソかってくらい鼻の穴を横方向に広げて、”リハーサルは嫌いよっ!”と叫んで、小保方さんのスポイトを取り上げ、自分のまんこに突っ込む。バッファローみたいに鼻息荒くして、腕組しながら政策演説するの。でもまんこがゆるゆる過ぎて、突っ込んだスポイトが、最初の10文字喋ったところで落ちちゃってね。そこですかさず矢口ワイプで出てくる。”私も、ずっと、そう思っていて、選挙の日は野田さんには投票したんですよぉか、最早、笑いを取りに来ているとしか思えない得意のおべんちゃらを使い出すだけど微妙に顔が小刻みに揺れてるんだよねパンすると首から上は笑顔で動いてないのに、下半身は物凄い速さでピストンして。一瞬、それがスロー再生されるんだけど、それでも早すぎて見えないのよ地上波で生本番してんのに、モザイクいらずという。で、その相手が錦織圭で、全米オープンでの海老反りガッツポーズ体勢でずっと耐えてんのよ。むっちゃ面白いと思うんだけど。どう?






「HAPPY、NEW、YEAR」


今年もセクシー登山部を宜しくお願いします。

2015年1月15日木曜日

武器人間


入山して23日目、岩峰の頂上から見渡す景色は地平線までジャングルで覆われている。そんな空間での岩登りというのが、ずいぶんと贅沢なことをしているようで楽しかった。明日からは、ここから見える景色の最奥までジャングルを歩き、そこからまた未知の川を下るのだ。気が遠くなるような距離と日数だったが、焚き火力(たきびりき)が上がってきた僕らの日々の焚き火に淀みはなく、キャンプ場どころか暖炉部屋にいるかぐらいの感覚で過ごせていた。と言うとさすがに大げさで、南国といえど12月の山。朝晩は日本の浅い冬のような寒さがあり、時折、吹く風が木々をかさかさと鳴かすと、ギュッと縮こまることも少なくなかった。

たまに釣れる魚は何よりの楽しみだった。大きなナイフが無かったので、魚を絞めるのに、木の枝で頭を何度も殴打した。殴るたびに魚の目はアジサイの花のようにゆっくりと赤く色づき、なんとも残虐だなぁと思いながらも、口の中を唾液でいっぱいにしていた。串代わりの枝を刺し、軽く塩をまぶして焚き火でじっくりと焼く。全身がこんがりと胡桃色に染まるのを待ち、米に添えてがぶりと齧る。幸せだ。そんな魚も後半になるにつれ、釣れなくなり、40日目をこえると、栄養不足がさすがに足取りにも影響していた。入山時と比べあきらかにげっそりとし、なかでも足の筋肉の萎縮はとくに顕著なものだった。それでも、砂鉄を詰込んだように足が重くと表現するには程遠かったし、たん白質の不足から、アステカの人身御供ように、いざとなればパートナーを食ってやろうかというカニバリズムの発想も生まれなかった。ちょっと食料を持っていき過ぎていたのかもしれない、と思う余裕すらあった。とはいえ、あるのは米だけなので、帰ったらジャーキーとウイスキー、ビールだということを、朝から晩まで考えていた。不思議と女を抱きたいといったようなものはない。空手バカ一代で大山倍達が山篭りをしていたときは、もっとムラムラ、ギラギラ、ギンギンだったような気がするが、もともとの雄度の違いに加え、肉と油から遠ざかった生活がさらなる雄度の低下を招いてしまったのかもしれない。そして他にも、いろいろ、あんなことや、こんなことがあったのだが、旅は終われば、早かったなぁ、なのだ。

明日、いよいよ帰国だ。ここにきて少し体調を崩してしまったが、残された街での日々に変わりはなかった。朝起きて、公園で軽く走り、日向ぼっこをしながら読書をする。それに飽きてくる頃、ネットカフェに行って作業を少し、夕方にになるとスーパーでビールを、屋台でつまみを買って、宿に帰って晩酌をしながら過ごし、自然と眠りにつく。ただ、いつもなら眠る時間に、今日は空港にいなければならない。帰りたくないという訳ではないが、馴染んできた生活から離れるのがどうにも少し、億劫だ。とはいえ、日々を胡桃の殻のような堅牢さを持って生きるには、僕はまったく向いていない。ヤンゴンで築いた日々も、長い旅の思い出も、すぐにうたかたのものとなり、飛行機が離陸する頃には、また、よからぬことで頭がいっぱいになるのだ、ろうな。

ところで、タイトルの「武器人間」であるが、日本出国前にみた最後の映画だ。ナチスのマッドサイエンティストが、人間と機械を組み合わせた兵士を作り、調査に来たソ連兵と戦うといった内容だ。改造人間を作るナチスの科学者といってもやることが非常に雑なのだ。小さな子供が、怪獣の玩具の首とウルトラマンの胴体を挿げ替えて遊ぶように、人間をぶった切ってブリキのガラクタをくっつける。ただ、その武器人間達の手作り感が秀逸で、メカ好き男子にはちょっとキュンとくるルックスをしているのだ。微妙に流行った「ムカデ人間」みたいなものかと思って挑むと、ジャンル映画の奥深さを思い知ることになる。まぁ、武器人間、動き遅すぎ!と突っ込みながら楽しむと宜しい。




2015年1月13日火曜日

人だかり


ヤンゴンから自転車で数百km、右往左往しながらも山への道をさかのぼる。道がなくなり、ぬかるんで自転車がこげなくなると、沢タビに履き替え、名もなき山の稜線までの沢登りを楽しんだ。普段、自転車をこぐ旅というものを専門にしている訳ではないし、趣味が自転車でもない。街でたまに乗る自転車はなんの変哲もないママチャリであるし、今回の為に買ったのも中古のママチャリだ。現地人が使っているのと比べれば綺麗に見える程度である。そんな自転車に無関心の僕がなんでこんなことをやったのかと言えば、たぶんちょっと、オシャレをしようと思ったのだろう。ドブロクを飲んでいる人間が、たまにはワインを、というようなちょっとした、そのときだけの心変わりだ。たぶん

街から少し離れると、広大な湿地と田畑が広がっていて、何処までも続くような道路の脇にはポツポツと掘っ立て小屋の売店や食堂があり、トラック運転手やバイクの人間がそこでお茶をしている。なんとなくのイメージで、地平線まで見渡せる道路を、自転車で旅をするというのは、さぞかし気持ちが良いものだろうと思っていた。が、まったくそういう訳でもない。いざ走り出して数十キロもすれば、サドルに食い込む尻の痛みに加え、履いているサンダルのヒモ部分が靴擦れならぬサンダル擦れをおこしだし、加えて荷台に縛り付けた重荷でバランスを崩しまともに走れず、いろいろと不快なのだ。もちろん、ミャンマーの灼熱には心身ともにボロボロにされる。はっきり言って自転車おもしろくないが最初の感想であった。何より嫌だったのが、この国のドライバーは皆、運転が荒いのだ。特にバスやトラックなどは、ボロボロの車体で黒煙を撒き散らしながら、何をそこまでぶっ飛ばす必要があるのかという程にスピードを出す。道も悪く狭いので、こちらがちょっとバランスを崩したところに、後ろから激走してくるトラックに跳ね飛ばされるのではないかと思い、気が気でなかった。

そんなボロボロで始まったミャンマーの自転車旅であるが、人間、適応するもので数日もあればずいぶんと慣れてくる。暑さにはなかなか慣れないが、休憩のタイミングさえしっかりしていれば、一日それなりに楽しく過ごせるようになってきたのだ。朝方の涼しい時間など、チャリ旅もいいなぁなどと言い出すくらいで、数日前にあれだけ悪態ついていたことはもう忘れている。暴走車にも慣れ、車の音や空気の流れで後ろにどんな車があって、自分がどの程度よければいいのかということも分かってくるし、暴走しているように見えて、彼らもそれなりのルールの中で車を走らせているのだなと分かってくると、恐怖心も薄らいだ。

自転車を走らせてから何日目だったか、道端にある人だかりに目がいった。何か催しものでもやっているかと、自転車を止め、カメラを片手に見に行くと、道路脇の畑にトラクターがひっくり返っていた。4つのタイヤは全て天に向かっており、道路からは5~6m離れたところまで飛んでいた。トラクターでいったいどんな走り方したらこうなるのだろうか、不思議に思ってカメラを向けていたが、ふと、人だかりの中心がそのトラクターにあるのではなく、そこから5m程離れたところにあるのに気がついた。視線を移せば倒れている人がいる。頭の周辺に血溜まりを作り、カッと見開いた目からは血が垂れ流れ、鼻や口、耳、穴という穴から血を流していた。動く様子は微塵も感じられない、一目で分かる死体だ。それを取り巻く人たちは、何をするでもなくただずっと死体を見つめていた。ゾッとした。同時に、カメラを片手にしたのん気な外人である自分が、同胞の死を前にした現地人からすれば、気に食わないであろうことを認識し、怖くなってそっとその場を立ち去った。

釣崎清隆という死体を専門に扱う写真家がいるが、その日の晩、彼の作品を思い出していた。死体と人だかり、それを取り巻く空気の重さと色というようなものには、どんな場所でも何処か共通するものがあるように思ったのだ。そして不遜にも、写真、撮っておけばよかったなぁ、と思った。

2015年1月9日金曜日

ヤンゴン

2ヶ月半ぶりにヤンゴンに舞い戻ってきた。先回は10月に1ヶ月程を過ごさせてもらったが、なにせ暑かった。お日様の下に出たとたん、焼けた釜のような熱気にやられ全身から水分を搾り取られシナチクのようになった、と言うといくらなんでも大げさだが、滝のような汗が頭から水をかけられたように衣類を湿らせ、体臭がカーニバルを始める頃には、軽い熱中症にやられて見事な廃人が出来上がるといった具合であった。それに比べ、今はビルの谷間から心地よい風が流れ、昼下がりのこの時間まで朝から公園でジョギングをし、日光浴しながら読書をするといった、普段の僕を知る人なら鼻で笑うような実に似つかわしくないハイソな旅行者のような真似ができる程に、居心地がいい。

昨日まで過ごしていた初のバンコクでは、その都会ぶりに驚かされた。パッと切り抜けば日本の都会かと見間違うような光景が広がっており、少なくともオラが住んでいる近所には無いレベルの高いビルが林立していて、田舎者たる僕はそれだけであっけにとられた。そもそも、それまで持っていた東南アジア感というものが、ネパールのカトマンズにあったので、そのギャップに驚いたのだ。ゴミの臭いと香のかおりが入り混じり、クラクションはパンパカと鳴りやまず、胡散臭いおっさんが5分おきに「マリワナ?」などと声をかけてくるのが東南アジアだと勝手に思っていたのだ。その感覚はずいぶんと古いものだったようだ。

その点、このヤンゴンには未だいかにも東南アジア的なイメージが残っている。隙間無く立ち並ぶ雑居ビルの前には露店が広げられ、屋台と香の匂いが入り混じったこの景色がどこか懐かしく心地いい。もちろん路上にはゴミも野良犬も豊富だ。この野良犬というのが随分と色艶がよく、誰か洗っているのかというぐらいぱっと見は綺麗であるし、路地狭しと屋台が立ち並んでいるので、餌が豊潤なのだろう、皆、なかなかいい身体をしているのだ。実家で飼っている犬より立派である。

ところで、なんでヤンゴンとバンコクを行き来しているかというと、別にパッカー(バックパッカーの略だそうな)になった訳ではなく、例のごとく沢登りである。横文字で書くとSAWANOBORIだ。WASABI、HENTAIに次いで、海外でそのまま使える日本単語の筆頭である(但し、ごく一部に限る)

先回のミャンマーでは、海から川をたどって源流までという沢登りをやろうと思いたったのだが、近年、民主化されたとはいえ、なんだかんだと未だ軍事国家の特色を色濃く残しているこの国は、何をするにも簡単にはいかない。当然、あきらかに怪しい外人が現地人も行かないようなところに行くのは、なかなか厳しかった。結局、当初、描いていたことはできなかったが、それでもちょっと足掻いてコンパクトな自転車と沢の旅をやってきた。また、タイでは45日間に及ぶ沢登りをしてきた。45日と簡単に書いたが、小屋を利用するトレッキングなどは別にして、自分で全てを背負って道なき道を行く登山となると、冬の黒部横断や台湾の沢登りなどの2週間程度が最長の経験であった。今回は食料にクライミング用具、ロープ、衣類にテント、荷物は40kgを軽く超える。それなりに山慣れした人間にとって40kg~50kgという重さは道を歩くだけなら問題ない負荷なのだが、沢登りとなると勝手が違ってくる。濁流で足元の見えず、捻挫しないよう次に足を置く場所を手探りならぬ足探りで着実に歩かなければならないし、ときにはヌメヌメの岩を飛んだり、進路を阻むイバラをさける為に匍匐前進することにもなった。その疲労は想像を絶し、10分ほど行動しては荷を降ろして休み息を整え、「こんなこと45日も続けるのか」と絶望したものである。昔、朝帰りが通常運転なブラック企業に入社し「こんなこと一生も続けるのか」と絶望したとき以来の絶望であった。

この沢登りの詳しい内容は割愛するが、ハイライトのひとつに大蛇殺しがあった。入山して35日を過ぎた頃、5mを超えるぐらいの大蛇が岩の上で昼寝しており、こいつを殺して食おうと、しばし追いかけっこをしたのだ。投石ではどうにもなりそうになかったので、竹やりを即席でこさえ、一人が竹やりで蛇の胴体を押さえ、もう一人、つまり僕が尻尾を押さえノコギリで胴体をゴリゴリと真っ二つに切った。動きの遅い蛇であったが、力はすさまじく、巻きつかれたり噛まれたりすればこちらも死なないまでも大怪我を負うことになるが、2対1と武器の優位により、食う側にならせてもらった。

しかし、普段、剛の者ぶっている自分が意外と殺生に向いていないことに気づかされた一件でもあった。手製の竹やりでは硬い蛇の鱗には歯が立たないし、他に武器も無いのでしょうがないのだが、生きている動物をノコギリでゴリゴリとやるのはいささか気が引けたのが正直だ。にもかかわらず野生という奴の強靭さを甘くみたおかげで、より残虐な結果を作ってしまった。ちょん切ってこれは殺したと思い、油断したところを蛇に逃げられたのだ。尻尾から身体を1m以上も切断されて、内臓出ちゃってる状態なのに、竹槍の押さえ込みを逃れ、内蔵を引きずりながら川に逃げ込んでしまったのだ。いくら野生といえどあの状態ではどう考えても助からないので、彼は苦しんで死ぬことになる。錆びてなかなか切れないノコギリで生きたままゴリゴリぶった切った上に、トドメを刺さずに逃がすという、我ながらぐう蓄な所業をしてしまったと反省する限りだ。ぐう蓄とはぐうの音も出ないほどの畜生の略である。ちなみに切断時、暴れる蛇を抑えながら全力でギコギコするも、肉や皮がノコギリにまとわりついて背骨がなかなか切れない。返り血と汗を混じらせながら刃を前後させ、思っていたことは、人を切断するときもこんな感じなのだろうかだった。




43日目、脱出用に作った手製の筏は44日目の夜には、沢の藻屑と焚き火の薪となった。



宮城公博